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170420- 花盛り [田畑]

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長かった桜もこの数日で一気に散ってしまいました。
畑では、エンドウやソラマメの花が続々と咲いています。
あと一週間もすれば、エンドウの収穫が始まりそうです。
ようやく春の野菜もそろってきます。
今の収穫は、のらぼう、葉玉ねぎ、葉にんにくイタリアンパセリ、ニラなどです。

170304ー豊かな日常としての『やまなし』 [ものがたり文化]

春のキャンプに向けて、宮沢賢治『やまなし』に取り組んでいる。
みんなと話しながら物語について考えている中で、考えたことをまとめておく。
今日の事前活動はどうなるかなぁ。

ーーー
僕が高校生ぐらいの頃『終わりなき日常を生きろ』という本が流行った。別に流行ってはいないかもしれないけど、インパクトのある言葉だった。
阪神大震災、オウム事件、よくわからないモヤモヤに包まれていた時代、閉塞感と言ってしまえばそれまでだが、日常を受け入れることが難しい時代だった。将来に期待できないから、日常にも期待できない。成熟した社会、というと聞こえはいいが、つまらない社会だった。

さて、カニの世界だ。激しい川の流れ、周りはぼんやりとしか見えていない。いろんな命やいろんな光やいろんな影が周りを包んでいる。彼らの目には「クラムボン」が映っている。クラムボンは、大きいのか、小さいのか、形があるのか、ないのか。魚もクラムボンも、同じ水の中でカニたちの目の前で遊んでいる。しかし、魚はいなくなってしまった。樺の花が流れてくる。クラムボンはどこへ行っただろう。
十一月の川は静かだ。透き通っている。月が水面から、水底まで映る。兄弟は競争をはじめた。体を動かして、夏の間に集めたエネルギーを見せつけようとする。そこにもっと大きな塊が落ちてくる。やまなしだ。大きな木の、葉っぱや根っこから集めたエネルギーの集合がやまなしだ。溢れている香り。
カニの日常は、豊かだ。それはまだ彼らが子供だからかもしれない。しかし、そんな豊かな日常を誰もが経験して成長してきた。成長することは、豊かさを失うことだろうか。可能性を少なくすることだろうか。ある意味ではそうかもしれないけど、ある意味ではそうではなく、また新しい舞台に上るための大切な過程である。カニになって、そんな経験を一緒にしてみよう。

『ちいさなちいさな王様』という物語がある。王様の国では、人は成長するにつれて小さくなり、色々なことを忘れてしまう。その代わり、自由に想像力を働かせたり、遊んだりする。王様はサラリーマンの「僕」の家に遊びにきて、いつも退屈な「僕」の通勤する道に想像の力で竜を出したり、夢と現実は同じじゃないか、というような話をしてくれる。
僕たちは一見退屈な日常を常に生きていかなくてはいけない。大きな夢を見たり、いろんな世界を想像することは、それでもまだ自由なんだろう。そのことを、『やまなし』のカニたちは、子供達にはもちろん、大人になった僕たちにも気づかせてくれている。

追記。「死」について。先日、北海道の義理のおばあさんが亡くなった。お正月に会った時には元気にお話をして、笑ったりしていたのに、それからひと月もしない間に急に。自分の青森のおじいちゃんもそうなんだけど、遠くで、急にいなくなった人のことを実感するのは難しい。

参考文献:
アクセル・ハッケ『ちいさなちいさな王様』1996年、講談社
宮台真司『終わりなき日常を生きろ』1998年、ちくま文庫

161116-いろいろと収穫(少しだけ) [田畑]

11月も半ばを過ぎて、なんとなく今年のリミットが迫ってくるようになる。
これから冬を越すまでにタネを撒いたりしなくてはいけないのは、あとは小麦と玉ねぎの移植ぐらいかな。今年は、山の仕事が少ないので比較的順調に冬支度に迎えているような感じ。明日は、高校生の体験活動のお手伝いですが。
今日は、里芋を掘ったり、落花生を掘って、夕方は軽トラ野菜販売へ。里芋は、ここいらでは「小芋」と呼ぶ通常の里芋と「八つ頭」を作っている。西多摩では、「いも」というと「里芋」のことを指す。僕の実家では、「いも」と言えば「じゃがいも」で、それは母の実家が青森で、じゃがいもの産地だからだろう。北海道の人も「いも」と言えばじゃがいものようだ。九州の人はどうなのかな、さつまいもだろうか。今度聞いてみよう。
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落花生も掘ったけど、うちで食べる分にしかならなかった。草に負けていたから。5月下旬にタネを蒔いた落花生、空芯菜、オクラなどは、発芽直後に虫に食われたのが多くて、今年はあまりよく育たなかった。ある程度育つまで、苗を作って移植した方がいいのかもしれない。
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エゴマも収穫した。なすの株間用に植えたもので、収穫時期はいつだろう、と思っていたらかなりの実が落ちていて、遅かったらしい。とりあえずシートに広げたが、ここから取り出すのはなかなか大変そうだ。

161110−脱穀 [田畑]

今日は、先週日曜日の第一弾に続き、脱穀の第2回。
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予定では明日だったのですが、明日が雨予報につき急遽変更。こんな日に限って、色々と予定も重なり、バタバタとした1日でした。
田植えから、稲刈りまで、ほぼ手作業でやっている私たちの田んぼ活動ですが、機械に頼る作業が2つ。
一つは、田植え前の代掻きで耕運機を使うこと、そしてもう一つが脱穀です。
現在はコンバインを使って脱穀します。
ハザ干しで約1ヶ月乾燥させた稲を機械に通すと、籾になって袋に入っていきます。今年は、10月の天気は良かったので、よく乾燥していて機械もスムースに通るようです。
今年はバッテリーがすぐに上がってしまう以外は比較的順調だったのですが、今日の後半は、籾のこぼれる量が多くなってきていて、何かおかしい。どうやら、途中の軽い籾をはじく部分が勝手に開いてこぼれてしまっていたよう。土曜日は、重要なもち米の脱穀なので再調整して挑みます。

そういえば、八王子の方に新しく谷津田の再生をするという場所を見に行ってきた。いろんな人が田んぼに関わるようになるのはいいことだと思うので、お手伝いすることになりそう。

161028−コミュニケーションとは [study]

今日は週一回の授業の日(教える方)。「人間関係論」という授業を担当しています。
コミュニケーションと社会の成り立ちについて、最近話題電車のマナー広告の話も入れながら。意外と学生さんたちは例の東急電鉄の広告について知らない様子でした。
社会を当たり前のものとして成り立たせているのは、「聖なるもの」の共有であったり、共通の価値基盤があること、というのが古典的社会学の考え方。秩序や規範の共有がされている、ということ。そのために、日常のコミュニケーションがある。ただ、コミュニケーションは、新しい場面であったり、ちょっとした行き違いによって、成り立たなくなってしまう。そういう時には、なんとかして、新しいルールを作ろうと努力します。
さて、例の電車のルールはどうなのか。意外と、電車の中ではいろんなルールの定規が人によって違うようです。さらに、現在大きな問題になっているのが、インターネットの世界。そこには、ルールや規範はない、とまで言われています。時間をかけて、ルールやマナーを共有したり、これから、作っていかなくてはいけない世界とどう向き合えばいいのか。続きは、来週、みんなで話し合いながら考えてみようと思います。

参考文献

若者の法則 (岩波新書)

若者の法則 (岩波新書)




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161027ー稲刈り終了 [田畑]

今日で稲刈りは終わりにしました。
気づけば、残っていた2枚はほとんどイノシシやスズメ、ハトに食べられてしまったので。刈れる所は大体刈り終わった。来年は、もう少し人を集めるか、草取りを頑張るか、どちらかはやらないと。
今日は、防鳥ネットに引っかかった鳩を3羽も助けました。急に近づいたから引っかかったのかもしれませんが。そのまま放置するとカラスに食べられてしまいます。
何か、いいことあるかな。


農で1200万円! ――「日本一小さい農家」が明かす「脱サラ農業」はじめの一歩

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この本を読んで、ブログ書かなきゃ、と思い出した。
一年ぶりでした。

がんばらなくっちゃ。



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かえるくもみる1 [ものがたり文化]

今年も始まりました。ワークショップ
今回のものがたりは『蛙のゴム靴』。
3匹の雲見が大好きな無邪気な蛙が、ゴム靴というおしゃれアイテム出会い
結婚、嫉妬、意地悪、ドロドロの魔道へと導かれるダークなお話…
すったもんだして、最終的には仲良く働くようになりました。というお話。
魔道って、一発変換されるけど、こんな言葉あるんですね〜
(wikiによると、神道に対する魔道、もしくは魔法の意味でした。ちょっと使い方間違ってるね。)

まあ、もうちょっと良く言えば、
一つ大人になって、そこに衝突みたいのが生まれて、
ぶつかり合いを通して、最終的にはみんな一回り大きくなりました。
という話かな。

いやいやいや、あまり意味はないのかもしれないよ。
「さよならね」って蛙に言わせたいだけかもしれないし、
蛙が野鼠に、野鼠がただの鼠に、鼠が猫に、猫が犬に、犬が馬に、それぞれゴム靴を頼み、馬が人間からゴム靴を手に入れる、っていう場面が描きたかっただけかも。
あるいは萱の刈り跡や麦干しの杭穴が、小さな生き物に対しては恐ろしい存在になっているということか。
結婚の決め手は、案外小さな偶然の出来事です、ということかもしれない。

僕は、楽しい蛙の会話が好きですね。
雲見をしながら、
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ型になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕たちの理想だね。」
っていう場面が一番好きです。
何が理想か、永遠の生命とはないか、を話し合うのは楽しいかもしれない。

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というわけで、17日の一回目のワークショップの話。
この日のメインは、我が家の近所に住んでいる杉村さんの蛙のお話。

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両生類とはどういう種類か、
蛙には吸盤のある緑色の種類(アマガエルとか)と、
吸盤のない黒や茶色の種類(ヒキガエル、アカガエルとか)がいる、ということなど、
卵やオタマジャクシの写真などを見せながら、楽しくお話してくれました。
特に子供たちが盛り上がったのは、
実物の生きている蛙を触らせてもらった時!
アマガエル、ニホンアカガエル、ツチガエル、モリアオガエルのオタマジャクシを見せてくれました。元気な蛙たちは水槽のふたをあけるとあちこちに飛び回ったりして、一時大騒ぎになりました。

その後は、萱の刈り跡を歩いてゴム靴をボロボロにしてしまう場面の朗読を練習しました。
この日の初参加は5人でしたが、みんな元気に読むことができました。
年長さん二人も元気にお話が読めてよかったですね。

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次回は、ダンサーの先生が来て、蛙の動きを体験するゲームをしてくれます。
お楽しみに!

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キュウリのスーさん [田畑]

どもども。キュウリのスーさんです。なぜ、スーさんかというとスーヨーキュウリ、という種類だから。漢字で書くと四葉胡瓜。最近は毎年この畑では作ってもろうてます。特徴は何と言ってもトゲトゲの鋭さとパリッとした食感!なかなかお店には出ない種類なので、気になる方はぜひ、はやしやさんに問い合わせてな。

さて。このコーナーでは、ウチの畑(最近、「はぶのら」と呼ぶことにしました。)でできとる野菜の立場から日々の作業の様子や畑に来てくれた人たちのことを紹介していきよりますよ〜。早速今日の畑にはPerfume仲間のわっと氏が来てくれましたよ。氏はようちゃんとは農工大の修士時代からの付き合いで、はぶのらにも実はかなり初期から来てくれとります。今となっては少なくなってしまった谷津田サポータークラブのメンバーでもあります。いろんなイベントのチラシもつくってくれてます。おっと、わっとさんの紹介になってしまった。そうそう、わっとさんはいつの間にかようちゃんより熱心なPerfumeラバーで…あ〜、止めねばねば。

今日の作業は我らスーヨー一家の苗を畑に植えてから寒さや虫から守るためににかけてくれていたパオパオというカバーを外して、上に伸びていくためのキュウリネットを張ってもらうというものでした。キュウリの苗は比較的よく育つので、種まきは4月3日、畑への定植は5月10日でした。その時には葉っぱが5枚程度でひょろひょろでしたが、カバーのおかげで葉っぱも10枚以上、長さも50センチぐらいまで伸びました!ここまで伸びれば寒さにも強いし、虫にやられることもありません。ネットは、高さが2mぐらいあるトンネル型の支柱にかけるので、背の高いわっとさんが来てくれて助かりました。

こんなに大きくなりました。
写真が来ます)

ちなみに、この日は、唐辛子の苗の定植も手伝ってもらいました。唐辛子は「八ツ房」という品種を育てています。「鷹の爪」よりはやや実は小さいですがたくさんついて、辛みもややマイルドな種類です。
(ここも写真)

もう少しキャラを出して書くつもりやったけど、結局ほぼ普通になったな。
はぶのらには年間約50種ぐらいの野菜が登場するので、また次回、お楽しみに〜!

松本輝夫『谷川雁 永久工作者の言霊』2014 平凡社新書 [ものがたり文化]

こういうの、ちょっとmixiに書くような内容だけど、せっかくメモに書いたから、全世界に出しちゃう。問題があったらやめよう。

はじめに、第七章、終章、おわりにだけ読んだ。
図書館に返さなくてはいけないので。買うのはちょっと口惜しい、という気分。
僕らの雁さん、を誰か書けばいいんじゃないかな。

山高帽子をかぶって、よくわからない長い話をしていたおじさんだった。発表会では、いろんなことをほめてくれていた。僕にとって一番の印象は、スプリングキャンプの事前活動で『楢ノ木大学士の野宿・野宿第三夜』の言語発表をした時に「良かった」と言ってくれて、ちょっとアドバイスをしてくれた。で、もっと名前をはっきり言えるといい、と言われて名前のやり直しをさせられた。それ以来、できるだけ名前はフルネームではっきり言おう、と心がけているんだ。中2だったかな。他には、特にないなー、学堂にもいなかった。

「人体交響劇」は「重苦しい言葉」かな。それほどでもないよ。人が交響する、ということは、どんな演劇でもダンスのワークショップでも言うと思うよ、「共感」の大事さ。それを「交響」というのはなかなか格好いい。

楢ノ木ベテランたちとテューターベテランたちと西藤さんに話聞けば、ものがたり文化の会での雁さん、は描けるかな。あとは、『十代』を掘って雁さんの言葉を探して、『白いうた青いうた』の大切さは松本さんも認めてるみたいだから、新実さんにも話聞けばいいじゃん。根本順吉さんも定村さんもいなくなってしまったから、案外のんびりしてると話は聞けなくなるかも知れない。谷川章雄さんにも聞けるかも。

雁さん自体もそうだけど、その後のテューターたちや楢ノ木たちが何をやっているか、が大事なのかもしれない。誰か、思想家にならないかな。僕は「実践」の方に行くことにした。演劇は竜くんやこうすけで、音楽は康志くんやあかねちゃん。絵の人もいる。アカデミックなら、長坂くんやら衛くんやら。竜くんは、列島社会が難民の時代になった時に子どもたちが演劇をできることが必要だって言ってて、そこに共感している。

テューターたちは、日々、一人でも多くの子どもたちに宮沢賢治を通じて物語の世界で遊ぶことのおもしろさを伝え続けている。日常の世界にある「現代の寺子屋」であり、さらにはちょっとした「非日常空間」まで用意してくれている。小1の時にはじめて青梅で出会って、英語のぬり絵や言葉遊びから、『そらいろのたね』『はるかぜトプウ』『やまなし』『水仙月の四日』をやらせてくれた中城先生、3年生からは調布で斉藤先生にお世話になった。大人数での活動に戸惑いながら大きなお兄さんにいつも憧れていた。大学で一年間過ごした関西で出会った伊佐くんにテューターは男でもできる、ということを気付かせてもらったことも大きい。真面目に物語を読むことだけがパーティではない、と教えてくれた前田先生、自らダンスの世界に飛び込んで身体表現の可能性を教えてくれた池本先生、とにかくネモパ大好きで活動のテープ起こしをしちゃう根本先生、多くの人との出会いで僕は今では自分のパーティをもって活動を続けている。

1995年に雁さんが亡くなって、ものがたり文化の会はやや縮小傾向にあったけど、行事の参加者数などを見ると、ここに来て持ち直しつつあるのかもしれない。「谷川雁」待望論ももはやかすれた。そんなこと言ってるのは僕だけか。これからも、「小さな活動家」をどんどんと僕らは生み出す。


谷川 雁: 永久工作者の言霊 (平凡社新書)

谷川 雁: 永久工作者の言霊 (平凡社新書)

  • 作者: 松本 輝夫
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書


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『北守将軍と三人兄弟の医者』のお話 [ものがたり文化]

18日の本番に向けて。
小学5年生に向けて書いてみました。

30年て、どう思う?長い?短い?みんなのお母さんお父さんはいくつ?だいたい35才〜45才ぐらいかな。30年前は5才〜15才だ。今のみんなと同じぐらいかな?
例えば僕は今35才。30年前は5才だ。年中さん。幼稚園に行っていた。あんまり記憶にないけどクリスマスでイエス様の劇とか、やってたような…小学校1年生の時なら少し覚えているよ。入学式でのちのち仲良くなる同じ団地の友だちとけんかをしたんだ。理由は覚えてないけど。まあ、黄色い昔、といっても良いような、ぼんやりとした記憶しか残っていない。やっぱりずいぶん長い時間、と言えるな、今の僕にとっては。
北守将軍ソンバーユーはその30年間、ずーーっと砂漠にいた。北守ということは、北からの敵と戦ったんだね。中国という国は、北に砂漠があって、そこから攻めてくる遊牧民族の人たちと長く戦っていた歴史がある。遊牧民族は馬に乗って攻めて来るから、それを防ぐために「万里の長城」という長い壁をつくっていたんだ。さらに、町の周りにもしっかりとした城壁を何重にもつくっていた。日本のお城とは違って、街全体が大きなお城みたいになっていた。だから、将軍が帰ってきた時に、最初は誰だかわからないから城門を閉じて、ソン将軍だってわかってからは門が開いた。
敵をやっつけて帰ってきた将軍だったけど、見た目はすっかり変わってしまった。みんな「灰色でぼさぼさして、なんだかけむりのやう」だった。しかも、将軍は馬から下りられない。本当に30年間ずーっと馬に乗っていたんだね。さて、病院に行こう。丁度良い病院が町の南の崖の上にあった。リン兄弟の病院だ。まず、リンパー先生は頭の目を直してくれた。リンプー先生は、馬と将軍を離してくれた。リンポー先生は顔や体に生えた草を取ってくれた。ここで将軍は30年ぶりににっこりした。これはうれしいだろうね。30年間砂漠でせおっていた苦労から解放されたわけだから。それから将軍は王様にあいさつに行く。王様は、これからも大将たちの大将になってくれ、というけれど、将軍はていねいにお断りした。そして、ふるさとのス山のふもとに帰っていく。
さて、最後将軍はどうなったのかな。仙人になったのかな?それともリンパー先生が言うように死んでしまったのかな?まわりの人からみれば、30年間も戦ってきた将軍様はすごい人だから、「仙人になった」と思ったのかもしれないね。でも、将軍を治したリンパー先生からみれば、将軍も普通の人と同じだったのに30年間の戦争のために病気になってしまった、と思っているのだろう。どうなったか、ということの答えは、1つしかないと思うかもしれないけれど、実はそうじゃない。
死んじゃった人は、もういない。本当かな。みんなの心のなかには確かにいる、と言えないかな。ちょっと難しいけど、身近な人で考えようか。例えば、僕のおじいちゃんは僕が20才ぐらいの頃に死んでしまった。おじいちゃんは青森にいて、僕がお葬式に行った時には骨になってしまっていて、会うことができなかった。そうするとどうなるかというと、実感がわかない。確かにもういないから会うことや話すことはできないんだけど、でも、またどっかで会えるような気がしちゃう。ひょっこりお庭の木の間から顔を出すんじゃないかな、とか。金魚にえさをあげてるんじゃないかな、とか。それは、本物のおじいちゃんじゃなくて、おじいちゃんの記憶だ、って言われるかもしれない。でも、東京に帰ってきて青森のおじいちゃんを想像することと、記憶のなかのおじいちゃんは違うのだろうか。おじいちゃんがその場にいない状態で僕が感じているおじいちゃんは生きていてもいなくても同じなのではないだろうか。おじいちゃんは心のなかでは昔も今も僕のなかにいるのだ。
つまり、ソン将軍は仙人になったのかもしれないし、死んだのかもしれない。それは、ソン将軍のことを思っている人がどう考えるのが落ち着くか、というだけのことなのじゃないかな。いまの常識として考えれば、仙人なんていない、と思うかもしれない。でも、将軍は仙人になったと思った方が落ち着く、という人もいる。お話としては、それぞれで落ち着く方を選べば良い。ただ、僕らはそれを人体交響劇で発表する。さあどうしようか。一応僕の考えを書こう。それぞれの人がもっている北守将軍ソンバーユー、というのはどうかな。あんまりおもしろくなさそうな気もするけど、今はこんなところかな。

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